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~8/22 梅林潤子遺作展 "Memsaje"

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 昨年、初夏がもうそこまで来ていた頃、森田のもとに、悲しい知らせが届きました。スタッフとして一緒に働いていた(私にとっては憧れの先輩でした)梅林潤子さんの訃報でした。一年ほど前から体調を崩し自宅で療養中ではありましたが、突然のことだったので本当に驚きました。まだ、31歳。とても優しく佇まいのうつくしい人でした。今朝、開廊前のフロアで彼女の作品と向き合いながら、たまらない気持ちになりました。どの作品にも彼女の”無心”が、”生”が溢れています。
 梅林さんは、ガラスの瓶を好んでモチーフにしていました。ビー玉は、描き始めて以来のテーマでした。硬質で透き通ったその質感や、瓶の底に挿し込む陽のきらめきを見ていたら、彼女の側にいるような気がしてきます。それこそ、透けるような白い肌の持ち主で、指で弾いたグラスみたいな澄んだ声で静かに笑う人でした。だけど、決して儚くはなかった。いつも背筋をピンと伸ばして、弱音を吐かない人でした。それから、力持ちだった。
 彼女は大学で学んだフレスコ画の技術をかわれ、卒業後も左官塗で知られる島根県でフレスコ画制作のためのワークショップの講師をしていました。フレスコ画とは下地に漆喰を塗り、それが乾く前にその上から水溶性顔料を染み込ませて描いていく壁画のこと。やり直しは効かないので、高度な技術力を要します。もちろん体力と精神力も必要。今回、会場に、フレスコ画製作風景の写真も展示しているのですが、女性ひとりでこなす仕事とは信じがたいほどの大仕事であることが伺えます。(彼女のフレスコ画は島根県の公共施設の他、県内の上浮穴高原ホタル交流館にも残されています。)
 そんな重労働を嬉々として引き受けていた彼女は、描くことが好きで好きでたまらない人でした。「私には絵しかない」が口癖でした。「昨日100%の力を要したモチーフが、今日は70%で描けてしまうこと、それが怖い時期があった。手を抜いてしまったんじゃないかと不安になった。」これは、ある雑誌に掲載された26歳の頃の彼女の言葉です。どこまで厳しく、どこまで真摯な言葉なんだろう…。あの頃、いつも側にいた柔和で優しかったあの人が、あんなに美しかったのは、「描く」ということを通して、自分自身の精神の在り様が濁るのを決して許さなかったからなのだと思うのです。彼女にとって描くことは、ある意味、信仰のようなものだったのではないだろうか、私にはそう思えてなりません。
 最後に、彼女はご家族をとても愛していました。お料理上手で時におちゃめなお母様のこと、運動神経抜群の利発でチャーミングな妹さんのこと、職場でモチーフになりそうなものを見つけると彼女のために持ち帰って来てくれる優しいお父様のこと、古いものを大切にされるお祖母様の雛人形がとてもきれな顏をしていること。滅多に自慢なんてしない彼女が、異にご家族のこととなると、いつも嬉しそうに自慢していました。最愛の人を若くして亡くされた悲しみは、そう簡単に癒やされるものではないのだろうと推測します。でも、あんなに家族のことが大好きだった潤子さんですから、天国でまだ、”ものすごく”心配しているのではないかと思うのです。彼女を安らかに眠らせてあげるためにも、ご家族の方にはゆっくり元気を取り戻して欲しい…手前勝手かもしれませんが、心からそう願っています。
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Commented at 2006-08-28 21:29
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by live-art | 2006-08-17 13:05 | 今週の展覧会 | Comments(2)